子供に期待しないこと

ある本に、
「親が子供にしてやれる最大のことは、子供に期待しないこと」
というようなことが書かれてありました。おぉ!

子供に期待しないとは、当然野放しにするということではありません。
同じような言動であっても、子供になんらかの期待をすると、
往々にしてそれは子供にとって重圧やマイナスになるから、
期待せずに子育てや躾をしなさいというような意味ですねランプ

自分自身が意識するしないに関わらず、「期待」は、
時に自分自身への見返りであったり、
自分にとっての自尊心を満たす為であったり、
損得勘定をも含んでいることすらあります。

また、子供に、○○のような反応をしてほしいと願う
(=他人を言い聞かせたい、他人が自分の思うように動いて欲しいと思う)
ことも、実はなんらかの期待をしているのです。

子供の幸せを願うのは、親として当然ですが、
心の中で願うことと、それを相手に言葉や態度で伝えてしまうことは
全く異なります。

「期待」として伝わり過ぎてしまうと、子供にとっては、
「そうあるべきもの」「そうであって当たり前のもの」となり、
そうできない自分自身との重圧や葛藤や劣等感が絶望へと変わっていきます。
そしてこういう子供の反応に対し、どういう心境や状態でいるのかをよく洞察せずに、
「弱い」「根性がない」「昔はもっとこうだった」「こうしないと○○になる」
などと言い放つと、事態はもっと悪い方に向かうしかなくなってしまいます。

親子だけでなく、他人同士の関わり合いにおいても、
こういうことを知っているだけで、ふとした時に、
自分の感情をより素直に正確に把握することができ、
自分も相手も随分気持ちが楽になり、より良い
人間関係を構築出来るでしょう。

子供の褒め方も、少し前に出た子育て書籍等は、
とにかく褒めろ、褒めろの一辺倒であったように思いますが、
最近では脳科学の見地からも、褒めるのは時と場合により、
またその程度もあまり過剰にやりすぎると、相手の反応を
気にしすぎるようになったり、褒められないと動かないようになる
こともあるという説も出てくるようになりました。目きらきら

結局あまりオーバーにやりすぎるより、
自分が感じるままに自然な感じで褒めたり
感心したりするのが良いということなのでしょうほー

人間は誰しも、愛されたい、感謝されたい、役に立ちたい
という気持ちを持っていますし、そうされると嬉しいものですが、
これが強い目的になってしまうと、余計なお節介をし、
自分が無理をするようになったり、常に他人の顔色を伺ったり、
相手の気持ちがわからなくなったりします。

逆に、子供や相手に期待しないことで、かえって、
相手に少し優しくされただけでありがたく感じられたり、
その人の成長を、温かく、余裕を持って見守ることが
出来るでしょう。
そういった関係性が、お互いの自立と自律にも繋がっていくのです。

特に最近は、自分はさておき、相手に何かを求めて、
何とか自分の思い通りに他人を動かせないかという
発想が多い社会になってきましたむー
そんななかで、家庭でも同じような「期待」や「要求」ばかりでは
随分息苦しいのではないでしょうか?
むしろ安らぎや無条件に受け入れることから「始める」
数少ない居場所であればいいではありませんか。

冒頭にご紹介した言葉が掲載されていた本と同じ作家が書いた本にも、
「正義は良いものだ。しかし誰も家庭ではそれを望まない」
というアラブの格言が紹介されています。驚き

これもまた、正義はいらないという意味では無いでしょう。
四六時中顔を合わせ、どうしても良い面も悪い面も
見せてしまわざるを得ない家庭にあって、
厳しい規範や約束事、原則等からなる
「純粋な正義」(と自分が思っていること)を
100%要求し合っていては息が詰まってしまうというのは、
極々自然な人間や家庭の本質なのでしょうね。